海老原美代子プロフィール

 

ベリーダンスの歴史
ベリーダンスの歴史には諸説あるが、7世紀以前から、すでに地中海沿岸一帯、中近東・北アフリカ地域の人々の間に受け継がれてきた、肩や腰を震わせて踊るこの土地固有の女性の舞踊形式が、19世紀以降、西洋世界によって「ベリーダンス」と名付けられ、その後世界各地で発展していったダンスというのが定説である。
1970年代、ベリーダンスは、エンターテイメントとして発展する一方で、全く別の視点からアメリカの女性達の間で再評価・再発見されることになる。ベリーダンスを踊ることで、女性が自らの女性性を愛し、伸び伸びと謳歌し、表現する。ベリーダンスを通じて、自分の身体を使って踊る喜びと、さらにはこころの深い場所-魂-とつながる、こうした心と身体に対するヒーリングの力が時代の要求と相まって、アメリカ全土にベリーダンスの学校やショーが広がることとなり、ベリーダンスの新たな全盛期が始まった。
1980年代に入ると、さらにアメリカ大陸(アメリカ合衆国・カナダ・ブラジル)、アジア(日本)、ヨーロッパ諸国へと広まっていく。とりわけドイツでは、町や村々にまでベリーダンススタジオが作られるほどの勢いだった。

ベリーダンスと海老原美代子の接点
海老原美代子は、まさにこの1970年代の洗礼を受け、1979年から5年間、アメリカ西海岸のロサンゼルスでベリーダンスを学んだ。

ベリーダンスのテクニック
ベリーダンスに独特な動きとしては、シュミと呼ばれる腰を振動させる動き、滑らかな骨盤のうねり、激しい肩の振りがある。これらを踊るためには、呼吸で身体をコントロールし、身体の各部分の動きを使い分ける高度なテクニックが要求され、訓練と熟練を要するものである。その確かな技術から表現されるダンスは、挑発的というよりはむしろ、踊り手と観客双方に官能的な感動を呼び起こすものであるといえる。

ベリーダンスと音楽
ベリーダンスでは特に、ダンサーと打楽器の間に強力な対話が存在する。それはまるでダンサーがリズムを創り出すと同時に、打楽器のリズムがダンサーの動きを創り出す、といったように、心臓の拍動にも似た打楽器のビートとのコラボレーションの中で、ダンサーの心と身体は一体となって動き出すのである。

センターイン「プレデリ」に掲載されました(2006/06)




日本におけるベリーダンスのパイオニア

海老原美代子
Ebihara Miyoko



海老原美代子は1979年、アメリカ在住中にベリーダンスと出会いアラブ人舞踊家に師事した。
1984年に帰国後、日本におけるベリーダンスのパイオニアとして、劇場以外でも名古屋博、横浜博、大阪花博等にて公演するほか、ベリーダンスの本場であるエジプト・トルコ・チュニジア・モロッコ等の大使館からの評価も高く、大使館主催による公演も多数経験している。
海老原のベリーダンスの特長は、熟練したベリーダンスのテクニークをバックグラウンドに、オリエンタルダンス、モダンダンス、ヨーガ、整体など様々な東西の身体技法を習得している点にある。それにより、海老原のベリーダンスは、エキゾチックな伝統舞踊としてのベリーダンスの枠組みを超え、肉体のダイナミズムを極めつつ高い精神性を具現化し、内なるエネルギーから表現されるダイナミックな踊りには定評があり、職業ダンサーから一般のオーディエンスまで、幅広い客層に深い感銘をもたらしている。

 


 


1984年 帰国後、海老原美代子ベリーダンスグループを始動
1988年 名古屋博にて公演
1990年 横浜博にて公演
大阪花博にて公演
「ベリーダンスとアラブ音楽の夕べ」(下北沢 駅前劇場)
1992~93年 エジプト祭(札幌、新潟、東京、岩手)に出演
1995年 「ベリーダンス気の舞」(青山円形劇場)にて 振付、演出を担当
1997年 「ベリーダンスとアラブ音楽」(長崎チトセピアホール)公演
1999年 「タトパニ&ベリーダンス」(江古田バディ)
2000年 「ベリーダンス アラベスク」(渋谷クロスタワーホール)
2001年 東京芸術劇場「ダンスパス」主催にて「剣の宴」で出演
2002年 「マハラジャン」(文京区シビックホール)に出演
「助産婦サミットin 熊本」にて講演およびベリーダンス公演
「ベリーダンス 彩(いろどり) 」(江古田バディ)
「Rose de SAHARA 砂漠の花」(文京シビックホール)公演
2003年 湯島天神「梅祭り」参加

「ベリーダンスとインド舞踊の夕べ」(福岡クラブVIBE)公演

「アラブ音楽&ベリーダンスアラベスク」福岡公演
2004年 舞踊生活25周年記念公演-Seven Vails-(日本橋公会堂)
ベリーダンスライブ 響(ゆらぎ)(江古田バディ)
オリエンタルモダンダンスの普及・推進及び啓発活動を目的とし、「オリエンタルモダンダンス研究会」を創設。
2005年

5月 「カルメン」 日本橋(劇場)
12月「アラブ音楽とベリーダンス」(静岡ライブハウスケントス)

2006年

5月 「アラブ音楽とベリーダンス」(福岡市民センター)
6月 「アラブ音楽とベリーダンス」(静岡・しずぎんホールユーフォニア)

2007

3月 「天の岩戸」能、武、ベリーダンスの共演(大阪公演)
6月 「ウズメ」(天の岩戸より)(文京シビックホール)

2008

3月「天の岩戸能、武、ベリーダンスの共演(四谷市民ホール)
12月 海老原美代子30周年記念公演 (ル・テアトル銀座)

2009

 2月 大分公演
 9月 名古屋公演 (愛知県国際児童年記念館)
11月  「ベリーダンスアラベスク」(大博多ホール)
2011 1月 SESSION NIGHT  (EATS and MEETS CAY
2月 天河神社『天の岩戸』奉納の舞
4月 一夜の夢 (CAYにて
10月 JAPAN BellyDance SHOW Charity 2011 秋
(渋谷区文化総合センター大和田さくらホール)
2012年

2月 西日本スポーツ新聞に掲載される
7月 日本経済新聞に掲載される

2015 1月 FMCOCOLO(大阪)、FM横浜に出演(「ウィークエンド・ジャーニー」 ”ベリーダンスは個性が光る踊りである”)  

--日本経済新聞に掲載されました--
(2012年7月4日)

ベリーダンス 魂ゆさぶる

◇踊り続けて30年以上、堅調と無駄な力除き自然体に◇


--西日本スポーツ新聞に掲載されました--
(2012年2月14日)

心揺さぶるベリーダンス
第1回九州フェスティバルに9団体共演

アラブ風の音楽が会場に流れ始め、暗い舞台にライトに照らされたダンサーの姿が妖しく浮かび上がった。1月22日に福岡市博多区のパピヨン24ガスホールで開かれた「第1回九州ベリーダンスフェスティバル」(西日本スポーツ、美しい日本創造機構共催)。東日本大震災支援に賛同した九州各県の9団体にゲストを加えた約60人が一堂に会した。これほどの規模のベリーダンス公演は九州で初。官能的だが、それ以上に躍動感あふれる踊りに、息が止まるほど圧倒された。
(文=石丸藍、写真=軸丸雅訓)

--西日本スポーツ新聞より

--被災地を訪れて--

 東日本大震災から1年が過ぎました。 東京でのチャリティーショーに刺激を受け、故郷の九州でも2012年1月22日に九州ベリーダンスフェスティバルを開催させていただき、皆様のご協力のおかげで大盛況で義援金も集まりました。 この度3月18日~20日、宮城県石巻市の亀山市長に 皆様からの義援金を直接お渡しできましたのでご報告させていただきます。訪問メンバーは、九州ベリーダンスフェスティバルでご尽力いただいた博多笑い塾の方々、福岡のベリーダンサー・砂原(sahara)さんと私で、石巻市の仮設住宅や復興商店街にて 落語、 謎かけ問答、みちのく歌謡ショー ベリーダンス&ミニレッスンで 石巻市の方々と 元気な交流をしてきました。 しかし被災地を訪れると 一同絶句。涙が溢れでる 惨状が広がり同じ日本に住んでいる私達一人一人がお互い様という気持ちでまだまだ応援し続けなければならないと強く思いました。 これからも ベリーダンスでできる社会貢献として、ショーや公演の時 募金をお願いするかもしれませんが、皆様のご協力 宜しくお願い申し上げます。  

--海老原


---FM 横浜ラジオに出演  ---

コメント 「ウィークエンド・ジャーニー」

”ベリーダンスは

   個性が光る踊りである”


2015年1月17日(土)23:00~
FM COCOLO(大阪)

2015年1月18日(日)22:00~
FM YOKOHAMA 

 

 


先生闊歩

静岡SBS学苑で活躍されている名物先生・面白講師・八方破れ先生・カリスマ講師を直撃。身包みはがす勢いで取材をしたとっておき情報をお届けします。
第12弾は、パルシェ教室〔ベリーダンス〕の海老原美代子先生。熟練のテクニックを背景に、肉体のダイナミズムと高い精神性を具現化し、伝統舞踏の枠組みを軽々と超えるベリーダンスのパイオニアです。ちなみにエネルギーの源は、体が要求するスパイシーなインドカレー、それと稲荷寿司、メロンパン。変な組み合わせ!?が先生の3大栄養素なんですって。

海老原美代子先生PROFILE

長崎県島原市出身。1976年、ご主人の海外赴任に伴い米国ロスアンジェルスへ。1979年、ベリーダンスと衝撃的に出会い、5年間アラブ人舞踏家に師事。1984年帰国後、東京を本拠に、〔海老原美代子ベリーダンスグループ〕始動。日本における第一人者として、オリエンタルダンス・モダンダンス・ヨーガ・整体など東西の身体技法を習得し、八面六臂の活躍をみせる。5月26日、アラブ音楽とベリーダンス福岡公演、6月23日に静岡公演を行う。

米国で出会った衝撃をお持ち帰り

渡米前は、どこにでもいる普通の主婦。でも―─。結婚するまでは波乱万丈。保守的な土地柄と父親に反発し、自立心と野心がメラメラでした。高校卒業後、福岡へ。バイトしながら2年間洋裁系の短大に在籍したが、就職はない。東京へ。サロンを経営するおば宅に居候し、美容学校に通い始めた半年後、「強い女同士なので折り合いが悪くて」飛び出したのですと。で、OLになって「タイプじゃなかったけど」社内結婚。このまま鞘に収まったと思います?全然!猫を被っていたインターバルを経て米国でベリーダンスと邂逅し、はまる。このダンスを日本に持って帰るぞ。「ふたりの子供を育てながら必死に誓いました」。嘘です、子育てそっちのけ・・・・。
あれから27年、定年を迎えたご主人が夕餉の支度をしてくれる。「旨い料理を作れる男は凄くいい」「恵まれていますね」「洗濯もしてくれるの」「可哀そう」「人生は自分で決めるものでしょ。もう亭主って感覚もないし。優しいパートナーよ」って、旦那様をとっても愛しているんですね、美代子先生。

お肉が揺れないと魅力ないでしょ。

九州の女はくよくよしない。ネアカでストレス知らず、これでもかの前向き。「良く言えばおおらか、へたするとテンパー」。豪快に笑う先生のお臍を観察してみよう。身長163cm。「横もあります。お肉をゆするダンスだから痩せられない。そこがいいのよ」。ステージに立つと素の自分に戻れる、本質が表出する。「背負っているものやしがらみが消え、女の本能が開花するんです。だから福岡、静岡公演では『天照大神(アマテラス)』だったけど、次は『ウズメ』を演りたい。40歳の時に腰が壊れた。動かしすぎて筋肉が裂けたのだ。年齢と共に劣化する表層の筋肉だけでなく、内側の筋肉=大腰筋を開発して内臓を緩める訓練法を教わり、いまでも実践する。「めちゃくちゃ元気。だからね、60歳代がとっても楽しみなの」。舞台にレッスンに超多忙の中、時間をやり繰りして山に登り、滝に打たれる。身も心もクリーンに清め、再びオーディエンスの真ん中に。美代子先生のオーラは衰える気配さえありません。

SBS学苑 COMADO 6.7号(夏号)
突撃取材 新鮮情報シリーズ その12 より
コピーライター
松永志郎・記